嵐のデビューと私の生きた道

嵐のミニうちわ第2弾

嵐がデビューした年、1999年。
この年から私の人生もいろいろあった。

摂食障害

1999年の春先、原因は自分でもよく分からない。もともと瘦せ型だった私はあまり食べなくなり、次第に痩せていった。痩せていく中で「どこまで痩せていくんだろう」となぜか思い始めた。こう思うこと自体が問題なのだが。。。そのことには気付いていなかった。身長163cmの私のもともとの体重は40kg前半。そもそも痩せていたのだ。そんな私が30kg台となり、どんどん痩せていった。周りの人、職場、家族、友達。誰もが心配するくらいの体に。それでもその時の私は「普通」と思っていた。
異常な痩せ方をした私は身体が悲鳴を上げていた。
・無月経
・肝機能障害
・膀胱炎の頻発
・色素の低下
・筋力低下
等々。今考えると恐い。体重が元に戻るまで4年間の歳月が必要だった。でも、悲鳴を上げた体が完全に治ることは難しい。一度経験した私だから言えること。

痩せていること=美しいではない

痩せている人の方が綺麗だとかかわいいとか世間で言う人もいる。でも決してそんなことはない。体質で太れない人も中にはいるので一概には言えないが、無理に痩せることは止めた方がいい。自分で自分の身体を壊している。摂食障害だった私が父から言われた言葉。「生きなくちゃダメだ。親より先に死んでしまうことが親にとって一番悲しいから」と。初めて見た父の涙。
だからと言ってすぐに自分を変えられたわけではない。これが摂食障害の落とし穴。食べなくちゃと思えば思うほどなかなか食べられない状態に。少しずつ少しずつ食べる量を増やし、元の体重に戻るまでには1年以上かかった。でもそれは体重だけ。筋力低下と月経異常だけは簡単にはいかなかった。一度痛めつけた身体はそう簡単には戻らない。
人にはそれぞれあった身体がある。
決して痩せている人が素敵な人ではない。そのままの自分を受け入れてあげる方が楽しい人生が送れるよ、きっと。

嵐に出会う

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この頃の私は社会人でもあり、テレビを見ることも少なくなってきていた時。デビュー当時から嵐のファンの人達には申し訳ないけど、グループ名しか知らないという感じだった。『嵐』に少しずつ興味を持ったのが『花より男子』。高校から短大にかけての友人が漫画を買っていて、借りて読んでいた私もどんなドラマになるんだろうと言うところから始まった。そこで嵐の主題歌と松潤を知り、一気にハマっていった。そして2006年10月、翔くんがzeroのキャスターに。ジャニーズの人がニュース?!とびっくりしたのを覚えている。でも、現実主義で全く芸能人に興味がなかった私が一気にハマったのが『山田太郎ものがたり』の御村託也。つまり、櫻井翔くんである。そこからは翔くんONLY。もちろん、翔くんがメンバーであり、翔くん自身も大好きな嵐ファンになったのもこの頃。ファンの子の中では遅い方だけど、嵐愛だけはファンになった時よりももっともっと強い。嵐に出会って変わった。何か夢中になれるものを持つということは何歳になってもどんなことでも大切。
コロナ禍で家から出られない生活。でも、何か1つでも夢中になれるものがあるだけでワクワクする(^^♪

やまたろDVD

年齢的にも当たり前だけど、いろんな病気もしている。落ち込むこともあるし、眠れないこともある。でも、私の仕事机の上にある嵐棚を見てるだけでも幸せだし、歌を聞けば元気にもなる。そう。。。

嵐は私の元気の源である