昨日(8/14)のSHOWチャンネルで今週末に放送される24時間テレビのメインパーソナリティー:King&Princeがゲストとして出ていた。King&Priceがどうこうと言うより嵐がやっていた時のことを思い出し、ちょっぴり寂しさを感じた。24時間テレビのメインパーソナリティーは嵐が最多となる5回。翔くんは6回。やっぱり私にとって24時間テレビと言えば嵐。そして翔くんなのだ。初めてやった2004年の時は嵐のメンバーみんなが若かった。もちろん見ている私も若かったし、そんなにチャリティーにも興味がなかった。そして最後にやった2019年は嵐のみんなも歳を取り、私も歳を取った。私がチャリティー等に身近に感じたのはやはり2011年の震災。この年を忘れることはないし、今でもその光景は焼き付いている。
2011年東日本大震災
私はあの日、職場にいた。いきなり強い揺れが起き、ただ事ではないことを悟った。職場の天井が落ちてきて周りが霞んだ。何が起こっているのか全く分からなかった。揺れがおさまって職場のみんなと急いで非難した。荷物を持つ余裕もなく。。。電話もつながらなくなっていた。保育園にもつながらず、しばらくは職場の外で待機して帰ることに。私は車のがカギを職場の机の中に置きっぱなしだったため、知り合いに乗せてもらって帰った。その間、スマホに保育園から何度も電話がかかってきていたが、取ると切れるの繰り返しで連絡がつかなかった。アクアちゃんは大丈夫か心配だったが、とりあえずいったん帰らないと車もないし。。。途中で義父から連絡が着て、アクアちゃんをお迎えに行って連れて帰ってきてることを知りホッとした。
震災が起きたその時には気付いていなかったが、私のお腹の中にはゾウくんがいた。アクアちゃんの時もそうだったが、私は悪阻がないので、妊娠に気付くのが人より遅い。あの中でお腹にしがみついて頑張ってくれたのだ。震災から8か月後、ゾウくんは元気に生まれた。
震災後に翔くんの取材を観て
翔くんはzeroで現在に至るまで震災があった場所へ出向いている。そして2013、2014年と2年続けて24時間テレビのパーソナリティーを務めた嵐。翔くんが震災にあったピアノで弾いた曲「旅立ちの日に」。忙しい時間の合間に一生懸命練習していた翔くんをすごいと思っていた。でも翌日のZIPで24時間テレビの裏側が放送されたが、その中で私は翔くんの涙を見た。完璧であろうとする翔くんが完璧に演奏することができなかったことを悔やんで卒業生に謝っていた姿は今でも焼き付いている。
そして翔くんは他でも震災にあったピアノで弾いている。それは2011年NHK紅白で弾いた「ふるさと」。ただ、私はリアルタイムでは聞けていない。生後1か月半のゾウくんが何をしても泣き止まず、ずっと抱っこして歩き回っていたからだ。我が家のアクアちゃんとゾウくんの2人の子供たちは夜泣きをすることはほとんどなく、すっごく大変だったという記憶はない。だから普通なら忘れてしまうだろう出来事なのだが、翌日私にとって忘れることない出来事が起こったからだ。それは後で書くことにする。
でも、あとから翔くんの「ふるさと」を観て、聞いて、落ち着いたのを覚えている。
2019年 嵐が5回目の24時間パーソナリティー
この頃の嵐は全力疾走していた。50公演の真っただ中でもあったし、いろんなことに挑戦していた。そんな中での24時間テレビ。体は大丈夫なのかなぁと思いながらも全力疾走している嵐に私は声援を送っていたし、元気をもらってもいた。5人がそれぞれにいろんなことを考えていたと思うし、私たちにいろんなことを教えてくれた。
この先、嵐がパーソナリティーをすることがあるかどうか分からないが、24時間テレビの時期が来るときっとまた思い出すと思う。
また観たいな。